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司法試験とAffogato

2012年4月から某法科大学院(ロースクール)に入学。で、ブログ始めます。

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迫る5月の司法試験を控えた今日この頃、久しぶりにブログを更新してみる。

というのは、「平成26年司法試験の採点実感等に関する意見(公法系科目第1問)」に(今さらながら)疑問を持ったからです。 全く利己的なブログだぜ(←良い子には見えない)


既に、話題になっているかもしれませんが、この箇所です(以下、引用)。



設問2について,【ある観点からの反論→それに対する受験者自身の見解→
別の観点からの反論→それに対する受験者自身の見解→更に別の観点からの反
論→それに対する受験者自身の見解・・・】という構成の答案が多かった。そ
の結果,手厚く論じてもらいたい受験者自身の見解の論述が分断されてしまい,
受験者自身が,この問題について,全体として,どのように理解し,どのよう
な見解を持っているのかが非常に分かりづらかった。

このことは、どのような意味があるのでしょうか。
自分なりに考えてみましたが… どのような書き方が非難されているのか。



<例文>
第2 設問2
 1 憲法上の権利について
(1)被告の反論
 本件は21条の保護を受ける・・・
(2)私見
 本件は21条の保護を受ける・・・
 2 審査基準について
(1)被告の反論
 合理性審査が妥当だ・・・
(2)私見
 厳格な合理性の基準が妥当だ・・・

という形での記述が否定されたように読むのが良いのだろうか。


「ダメだ!」
とか「評価しない!」というわけでもなく、「非常に分かりづらかった」という表記なのも一考の原因ではあるが…
たしかに、思いを巡らせてみると、<例文>のような観点毎の書き方には読み手にとって不明瞭なことがあるのでないか、と思う。
つまり、たとえば、被告が↑の<例文>通りに「保護範囲」と「審査基準」の2つに反論したとします。
そうすると、私見もそれに対応して論が展開されます。
しかし、これでは「あてはめ」(と書いたら怒られるけど)に対応した私見が示せないことになり得ます。


読み手とすれば、「『憲法上の権利』と『審査基準』についてのあなたの見解はわかったけど、で、あなたの私見として法令は違憲なの? 合憲なの?」という疑問がわきそうです。

もちろん、「あてはめ」を書いていても、「審査基準」について私見がなければ、「何の基準を使ってるんだ!? こいつ!」ってなりそうです。

そうした意味で、観点毎に書くのでなく、「まとめで書いてくれ」と思ったのでしょうか……?
裏を返せば、観点毎に私見を書いても、全ての点を網羅することが出来るのであれば、差し支えない(?)のだろうか。

ただ、時間が限られた中では、網羅的に書ききれない人もいるでしょうし、そういう人に向けてのメッセージなのかもしれない。
さぁ、どうしよう?

意見求む。

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法律の基本書なるものでなく、論文等をまとめた本はタイトルにかっこよさ(?)を感じることがあります。

たとえば、木村先生の『憲法の急所』とか、初めてタイトルを聞いたに「んん!」ってなりました。
急所…ということは、これさえ読めば憲法がわかるのか! と思いました(もっとも、読んだことはありません。)

石川先生の『自由と特権の距離』は、(内容もさることながら)、タイトルの時点でもう高度な感じが出てますよね。

最近では小山先生の『「憲法上の権利」の作法』とかも結構洒落たタイトルではないでしょうか。(僕だけ?)

憲法学者は、キャッチ―なタイトルをよくつけるんですね……。
そういえば、佐藤(幸)先生も『憲法とその“物語”性』のという名の本を出していますし……。

他の分野の学者はあまり変わったタイトルをつけませんよね。


しかし、何と言っても、この方には勝てないのではないでしょうか。

 

そうです。 長谷部先生ですね。


『比較不能な価値の迷路―リベラル・デモクラシーの憲法理論』


長谷部先生は、狙ったカッコ良さ感がたまりません。
『憲法の理性』とかも。


民事系、刑事系とかって、『○○論』とか『××の研究』というような硬派なタイトルが多いですよね。
やっぱり、憲法だけの特有の事情なのだろうか。うーん。

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世間はGWですが、僕は特に変わらない日常のままです。

今日は、恥ずかしながら、基本的なことを書きます。


今日は、とても良いことがあって、答案を書いたら某人に「良いんじゃない?」と及第点をもらいました。
普段は、なかなかもらえないものだったので、純粋に嬉しかったです。

しかし、なぜこの答案だけ良い評価(あくまで及第点)もらえたのか、と振り返ってみればいろいろな要因があるように思います。

一つの要因としては、今回書いた答案が、最近扱った内容(民法:物権)であったこともあるでしょう。

ただ、一番大きな要因は、答案のイメージを持っていたことだと思います。

たしかに、僕は、論点ごとのバランスが悪いとよく指摘されます。たとえば、論点が2つあるにもかかわらず、1つの論点だけを大きく掘り下げて論じ、他方の論点はほとんど手つかず、という具合です。
けれども、ここ最近、いろんな人の答案を見たり、学部時代にもいろんな答案に触れておいたおかげで、何となく、方向性のようなものを見ることができるようになってきたように思います。そのため、悪かった論点バランスも少しは矯正されたのかもしれません。(もちろん、まだまだ改善の余地あり、いや、改善すべき点が多々あります。)

また、学部時代も、少しは答案を書いていましたが、それにも増して、他人の答案を見る機会を持てていたことが良かったのかな、と思います。

そして、もう一つの要因として、基本書の内容が少し物語のように把握をすることができるようになったことがあげられます。これは、うまく説明できないのですが、つまり、著者の論旨をある程度きちんと追えるようになった、ということです。

当たり前じゃないか、というかもしれませんが、僕にとっては大きな進歩です。

これまでは、基本書を読んでいたとしても、論点のところだけを読むということしかしてきませんでした。
長い長いドラマの「名シーン」だけを総集編のように見ている感じでしか基本書と向き合ってきませんでした。

このような読み方では、ドラマの主人公の生い立ちさえもわからないでしょう。「起承転結」とよく言いますが、「転」ばかり、見ているようなものです。知ったかぶりはできますが、ドラマをきちんと説明せよ、と問われたら何も言えませんでした。

けれども、きちんと第1話から、すなわち、基本書の論旨を追うように読むと、流れを把握することができ、より深い理解ができるようになりました。

話は戻って、このように読む癖(方法)が身についてきてから、答案の流れも少しは良くなったように思います。
過去に何度も回答を書いたり、あるいは授業で勉強をしてきたことであっても、きちんと軸を捉えて読むだけで、インプットとしての理解も、アウトプットとしての表現も異なります。

恥ずかしながら、だらだらと当たり前のことを書きました。

先生方がこれを読んだら「何を今さら!」と怒るかもしれません。

しかしながら、日々、ゆっくりと前に進んでいる(気がする)僕を、暖かい目で見守ってください。

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プロフィール
HN:
Affogato-ni
年齢:
36
性別:
非公開
誕生日:
1989/11/28
職業:
学生
趣味:
アラビア語
自己紹介:
4月から、某大学院のロー生です。

友人の誘いから、始めました。



自堕落に生きながらも、日々精進したいと思います。
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